自己理解と人生の目的 | 内面の混乱を超えて

私たちは現在との関係の中でのみ、自分自身を理解することができます。そしてその関係そのものが導師(精神的指導者)なのであって、導師は私たちの外部にいるのではないのです。「自我の終焉  P218 クリシュナムーティ」

なぜ自分が導師(教えてくれる人)を必要としているかを発見することが重要だとクリシュナムーティーは言っています。つまり自分が混乱しているから、教えてくれる人の助けが必要なのです。教えてくれる人が自分の求めているものを与えてくれると期待しているのです。

求めている時点で自分の欲求を満足させてくれる人を選択しています。なすべきことを教えてくれる人、つまり行動の指示を求めているのです。混乱はこれにより抜け出せるかも知れません。教えてくれる人は抜け出す方法は教えてくれます。

しかし、混乱を生む自分についてはわかっていませんから、また新たな混乱が生まれます。そんなとき、教えてくれる人は新たな方法を教えるか、あなたの努力が足りないと言います。

そして、再び混乱を抜け出すために、努力するわけです。教えてくれる人の言った言葉などに固執して自分の行為をそれに近づけようとする。今の自分に不足感を抱きながら、未来に完全なゴールがあると信じて頑張ります。

しかし、自分の内面の混乱は自分で解決するしかないんです。自分の内面の混乱を認識するには、自分が自他の関係の中で自分を注意深く観察するしかありません。他人との関係で鏡のように映る自分を注意深く観察します。誰かを通して発見するものではないんです。そして、未来にゴールがあるわけでもありません。

私は、ここ数年で、自他との関係の中で自分を理解していくことが、人生の目的だと思うようになりました。生活の中で色々なことが起こります。そうした中で自分がどう反応するか、どう行動するかを注意深く観察することによって自分自身がわかってきます。

自分自身が、わかってくればおのずと自分の進む方向も見えてくるのではないでしょうか。進む方向は得ようと思って得られるものではありません。ましてや自分の進む方向は人から教えてもらうものではありません。自分と向き合うことによって、自分自身の中で発見するものだと思います。

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