氏神さまへの祈りと自己の発見 | 現在の瞬間に生きる

愛犬

愛犬と朝のお散歩です。土日の朝は氏神さまへお詣りに行きます。

氏神神社とは「自らが居住する地域の氏神様をお祀りする神社であり、この神社の鎮座する周辺の一定地域に居住する方を 氏子 うじこ と称します。」(神社本庁HPより) とあります。

日常私たちを守ってくださっている神さまといったところでしょうか。

ここでいつも「家族の健康」「愛犬が1日でも長く生きられること」(愛犬は2年前の夏に鼻のがんになりましたが、今でも元気にお散歩に行けています。)「私の進むべき道」の3つを祈っています。

最後の「私の進むべき道」については、最近こう思います。無理やり目標を定めなくても自分を意識していれば道は見えてくる。目標を定めると言うことは、今の自分には目標に定めたことが欠けていると思っていることの裏返しです。自分のあるべき姿を未来に求め、「今」は不足していると思っているわけです。そこには葛藤があります。この葛藤こそが私が真に幸せを感じられなかった原因だと思っています。

今、この一瞬が完全だと感じられるときは、なんとも言えない幸福感があります。私が氏神さまにお祈りしている「私の進むべき道」は、私の中の「今」にあります。

前に本で「人は生まれる前に今世での課題を自分で決め、そしてこの課題クリアのロードマップを自分で作り生まれてくる。しかし、この世に生まれた瞬間にすべてを忘れてしまう。」とありました。この課題は「何を成すか」ではなく「どう在るか」です。「何を成すか」は「どう在るか」を知るための出来事に過ぎません。

お金も肩書きも名誉も死んでしまったら、意味のないものになってしまうことでわかるのではないでしょうか。肉体という形がなくなると残るのは魂だけです。この魂が「どう在る」かこそが意味のあることだと思います。

氏神さまで、自分の魂の有り様を見つめ、「この完全な今この瞬間」に感謝しています。

アジサイとユリ

雨の日、アジサイとユリがきれいでした。

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