2025年4月22日、午前4時50分。
ふと目を覚ますと、不思議な夢を見ていた感覚が残っていました。その夢は、まるで魂の奥から立ち上がってくるような象徴に満ちていて、その余韻が今も胸に残っています。
私はマンションのL字型の横の棟に住んでおり、ベランダに出ると、太陽が出ていて明るいのですが、眼下は一面、分厚い雲に覆われていて、地上は見えませんでした。その雲は氷のように硬く、ベランダの床も凍っており、滑らないかと不安に感じました。
L字型の縦の棟を見ると、子どもたちがその氷の雲の上を自由に駆け回っている姿が見えました。無邪気で楽しそうなのですが、私は「雲が割れてしまったら…」と心配しながらその様子を見守っていました。
やがて一人の子どもが、雲の割れ目から下へと落ちてしまいました。そこは流れる水ではなく、まるで凍った湖のような場所で、私ははっと息をのみました。
しかしその子は、自ら這い上がり、笑顔で他の子どもたちのもとに戻っていきました。その姿に、言葉にならない何かを感じたのを覚えています。
あまりにも珍しい風景だったので、スマートフォンでその雲をズームして撮ろうとしました。すると、レンズ越しに映ったのは、太陽が出ている昼間ではなく、雲の下に広がる夜の街並み。その光景を見たとき、誰かが私にささやいたのです。「山梨か長野の街並みだよ」と。

私はしばらく、その夜景をただ見つめていました。そこには静かで、どこか懐かしいような、あたたかな光が広がっていました。
夢が語りかけてきたもの
この夢の後、私は「これはただの夢ではなかった」と直感しました。
思い返せば、数日前の4月16日から18日まで、私は身延山久遠寺や奥之院、御廟所をお参りし、宿坊で静かな時間を過ごしました。そこでのお坊さんの言葉「知恩報恩」と出会いました。そして19日に帰京し、福田先生のシュタイナー勉強会で語られた「すべてのことは魂の成長のためにある」という言葉が、深く私の中で響き合っていました。
そして今朝の夢。
氷の雲、子どもたち、落ちても戻る生命力、そしてレンズ越しに見えた夜景。それらすべてが、単なる夢の風景ではなく、魂からの深いメッセージとして私の内側に響いています。
氷の雲。
それは、これまで私が生きてきた世界。
凍りついたような感情、迷い、不安……、それを眺めていた私自身の姿がありました。
子どもたち。
それは、私の中にずっと生きていた純粋な部分、あるいはこれから出会っていく魂たちの象徴かもしれません。
彼らが駆け回る姿には、自由や希望、そして無邪気な勇気が感じられました。
そして、ひとりの子が雲の割れ目に落ち、それでも自ら這い上がり、笑顔で仲間のもとへ戻っていったあの場面。
あれは、かつての私自身の姿でもありました。何度も道を踏み外し、迷い、傷つき――それでも立ち上がり、生き直してきた。その子どもの姿に、私は過去の自分への赦しと祝福を重ねました。
そして最後に、レンズ越しに映った夜景。
それは、暗闇の先にある確かな光であり、これから向かうべき未来の方向を示しているようでした。誰かに「山梨か長野の街並みだよ」とささやかれたその瞬間、私はその風景が、霊的な故郷のようなものとして、自分の中に刻まれていくのを感じました。
この夢のすべてが、過去の私であり、そして、これから出会い、関わっていく魂たちの姿でもあります。
そんな確信が、いま、私の中にあります。
「なぜこの道だったのか」から「どう生きるか」へ
私はこれまで、いくつもの出来事を経験してきました。
子どもの頃のやけどの痕や、転校によるいじめ、不本意な進学、転職を重ねたこと、離婚。
「ここではない」という感覚に突き動かされ、場所や立場を変え続け漂流していた苦しかった日々。
そんな中で、あるとき人生のどん底にいた私に、信頼する友人が法華経の教本を差し入れてくれたのです。訳もわからず、それでも必死に唱えていたとき、私はふと自分を上から見ているような感覚に包まれました。
あのとき初めて、「うまくいかなかったのは環境のせいではなく、自分のあり方に原因があった」と悟ったのです。
それから約10年、私は読経と瞑想、シュタイナーの学び、そして年に2回の身延山へのお詣りを続けてきました。少しずつですが、自分の生き方が変わってきたと感じています。
今朝の夢を通して、私ははっきりと知ることができました。もう「なぜこの道だったのか」と過去を問い続ける必要はないのだと。これからは、「この道を、どう生きていくか」が、魂の問いになるのだと。
この道とは、これまで私が歩んできた痛みと癒しの経験、そしてそれを通じて育んできた気づきと学びを携えて、誰かのために、そして自分自身のために、魂の誠実さをもって生きていく道です。
傷を知っているからこそ、傷ついた人に寄り添える。道を迷ったことがあるからこそ、迷う人に灯をともせる。再び立ち上がった経験があるからこそ、生きる勇気を分かち合える。この道は、過去のすべてを光に変えて歩む道であり、そして、出会っていく魂たちと共に成長していく道でもあります。
夢は、魂の奥深くから届いた“問い”のようなもの。それは未来のすべてを明かすものではないけれど、これからどこへ向かうべきかを、そっと指し示してくれる“しるし”のように感じています。あるいは、私の内に眠っていた「真の私」が、夢というかたちで目を覚まし、静かに語りかけてきたのかもしれません。
この夢の光を胸に、私はまた一歩、前に進もうと思います。
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