64歳の誕生日に、身延山で感じたこと

今日は私の64歳の誕生日です。
毎年春と秋のお彼岸には、山梨県の身延山久遠寺にお参りに行っていますが、今年は少し特別で、誕生日前後に訪れています。

朝のお勤め(5時半から)に参加するために、真っ暗な中、本堂へと続く「菩提梯(ぼだいてい)」という287段の急な石段を登ります。この階段は、まるで壁のようにそびえていて、一歩一歩がなかなか大変です。



それでも、途中で立ち止まりながら登っていると、毎回「この階段は人生そのものだな」と感じます。急な坂、足が重くなる瞬間、それでも一歩ずつ進んでいけば、やがてたどり着ける場所がある。楽な道ばかりじゃないけれど、諦めずに登っていくことで見える景色があるのだと、改めて思わされます。

というのも、これは私自身が最近とても大切にしている考え方だったからです。
64年の人生、楽しいこともあれば、苦しいこと、思うようにいかないこともたくさんありました。
でも、そうした一つひとつの出来事には意味があって、自分の内面を照らし出し、磨くために起こっているのだと、少しずつ受け止められるようになってきました。

最近は、過去や未来をあれこれ考えすぎるのではなく、「いま、目の前にいる人や出来事に丁寧に向き合うこと」を意識するようにしています。すると、不思議なことに、不安や怒りのような感情も、以前よりずっと静まってきたように感じています。

この誕生日に、身延山の空気の中で、そのことを改めて実感し、これからの人生もまた一歩一歩、丁寧に歩んでいきたいと思いました。自分の魂を、少しでも澄んだものにしていけるように。

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